イノベーション創出の可能性を高める手段として、近年ではEIR(Entrepreneur in Residence)が注目されています。EIRは課題や状況に合わせた取り組みが可能なため、企業がとり入れることで効率的なイノベーション創出を行える可能性があります。
本記事では、EIR制度の概要やこれまでの起業との違い、注目される理由などをまとめました。具体的なイメージを掴みたい方に向けて、活用できるパターンや国内事例も紹介します。
目次
EIR(Entrepreneur in Residence)とは
EIRとは、主にイノベーションの創出を目指している企業が、特定分野のノウハウがある人材を外部から招く取り組みです。Entrepreneur in Residenceの略語であり、日本語では「客員起業家」と訳されます。
企業視点では、社内にはない経験や知見を補う取り組みであり、基本的には起業やスタートアップ協業、新規事業開発の経験者が招かれます。招へいの手段はケースによって異なりますが、通常は雇用または業務委託の契約を結びます。
EIRの注目は国内でも広がっており、政府が推進するスタートアップ創出の一環として、すでに実証事業も行われています。
起業家(Entrepreneur)との違い
独立後に事業を起こす起業家(Entrepreneur)は、特に制限がない状態でビジネスを始められます。一般的な起業家のメリットとしては、事業化までのスピードアップを図りやすい点や、成功を果たすと大きな創業者利益を獲得できる点などがあるでしょう。
一方で、最低限の収入も保証されていないため、経営状況によっては大きなリスクを伴います。日常生活が不安定になると、本業への専念が難しくなったり、過度なストレスを抱えたりするかもしれません。
その点、EIRでは雇用契約や業務委託契約があり、起業家にとってはそれがセーフティネットとして機能します。
社内起業家(Intrapreneur)との違い
社内起業家(Intrapreneur)は、勤務している会社内で事業を起こす人材です。給与を得ながら新規事業に挑戦できるため、一般的な起業家に比べると経済的なリスクを抑えやすい利点があります。
また、社内起業家は会社のリソースを使いながら起業を目指せます。設備や人材、資金はもちろん、企業によってはブランド力や販路なども活用できるでしょう。
ただし、あくまで社員として行動するため、社内のルールや文化、上層部の意見は軽視できません。異分野の事業に挑戦をする場合は、活用できるリソースが少ない可能性も考えられます。
EIRでも社内のルールなどを守ることになりますが、そもそもイノベーションを目指している企業から招へいされるため、リソース不足には直面しづらいと考えられます。また、契約内容を工夫することで、行動の制限を緩和できる可能性があります。
日本でEIR(客員起業家)が注目される背景
日本でEIRが注目される背景には、開業率(※)の低さがあります。経済産業省の資料によると、日本の開業率は欧米諸国より低く、2016年以降は4%~5%前後を推移しています。
大学発のスタートアップも登場していますが、ビジネスを形にするには知識や能力、経験が求められます。一般的な起業ではリソースや資金の確保も必要になるため、大学発としても起業のハードルは高いといえるでしょう。
社内起業についても、事業化のハードルが高いのは同様です。リソースや経験があったとしても、世の中に影響をもたらすイノベーションの実現は容易ではありません。
その点、EIRは一般的な起業家と社内起業家の良いとこ取りをした仕組みであり、様々な課題を解決できる可能性があります。
(※)「開業した企業(または事業所)を年平均にならした数」の「期首当初の企業(または事業所)」に対する割合。
政府もEIR(客員起業家)制度を後押し
企業によるEIR制度の導入については、政府も積極的に支援する姿勢を見せています。
経済産業省は一般社団法人の「JISSUI(社会実装推進センター)」に委託する形で、2022年から客員起業家(EIR)活用に係る実証事業を始めました。本事業は、採択された企業の制度導入を支援して先端事例を作り、国内におけるEIR制度の定着を目指したものです。
参考:経済産業省「「客員起業家(EIR)の活用に係る実証事業」実証事業者募集のご案内 (METI/経済産業省)」
また、JISSUIは経済産業省からの委託を受けて、2023年6月にEIR制度に関するガイダンスを公表しています。
参考:経済産業省「客員起業家(EIR)制度 Entrepreneurs In Residenceの活用に関するガイダンス」
制度導入を支援する環境整備が進められているため、EIR制度はますます注目されそうです。
EIR(客員起業家)制度の活用パターン
EIR制度の導入目的は、企業によって細かな違いがあります。実際に、どのように活用されているのか、以下では4つのパターンに分けて解説します。
1.起業支援や事業開拓で投資案件を育てる
1つ目は、起業支援や事業開拓ができる人材を招いて、企業内にある投資確度の高い案件を育てるパターンです。仮説・検証の段階では業務委託契約を結び、投資の可能性が高まったら雇用契約に変えるような取り組みです。
経済産業省のガイダンスでは「投資案件組成型」として紹介されており、客員起業家は会社設立や資金調達、採用のプロセスまで携わります。事業の推進力が求められるため、基本的には組織運営の経験がある人材を招くことが望ましいでしょう。
2.スタートアップスタジオの立ち上げ
スタートアップスタジオとは、起業家に人的資本などのリソースを提供して、立て続けに複数の企業を立ち上げる組織です。スタジオの運営会社が客員起業家を招き、スタジオ内のアイデアを形にしていくパターンです。
求められる人材像やコミットの仕方については、投資案件組成型と似ています。基本的には仮説・検証から、事業の運営環境を整えるところまで客員起業家が関わるため、起業準備領域に詳しい人材が適任といえます。
スタートアップスタジオ型でも、投資の可能性が高まったフェーズで、雇用形態を切り替えるなど取り組み方を変えていくこともできます。
3.社内リソースやシーズを有効活用して事業化
外部の専門家を招き、活用しきれていないリソースやシーズを見直して事業化につなげる方法です。経済産業省のガイダンスでは、「技術シーズ活用型」と定義されています。
企業がもつノウハウやアイデア、技術力、アイデアなどを事業化に結び付ける必要があるため、このパターンでは専門的な技術者・研究者が求められます。仮説・検証だけではなく、明確なビジネスモデルの構築や資金調達のサポートも希望する場合は、事業開発や投資の経験も必要になるでしょう。
雇用形態としては業務委託契約の他、1~2年程度の有期雇用契約が主な選択肢になります。
4.組織変革で新規事業やイノベーション創出を目指す
客員起業家を管理職などのポジションに招き、イノベーションの創出を目指すパターンです。外部人材のノウハウや知見、マインドが社内に浸透しやすくなり、組織全体を変革する効果が期待できます。
客員起業家に求められる能力としては、組織運営を含めた事業推進力やリーダーシップが挙げられます。また、一般的な社員やメンバーとしての招へいではないため、チーム全体を納得させる豊富な経験や実績も必要になります。
EIR(客員起業家)制度の国内事例
実際にEIR制度を導入している企業は、どのような形で運営しているのでしょうか。以下では、経済産業省の実証事業における採択事業者の中から、参考になる3つの国内事例を挙げます。
短期的KPIでEIRとの接点を増加/ジャフコグループ
1973年創業のVCであるジャフコグループは、国内のスタートアップエコシステムの成長を目的として、起業支援・事業領域開拓型のEIR制度を導入しています。
同グループの主な収入源はキャピタルゲイン(株式の価値上昇による利益)ですが、起業前の段階では成功確度などの評価が難しい状況でした。そのため、EIR制度の短期的なKPIは、スタートアップや起業家との新規接点の創出といった副次的な効果をもとに設定しました。
結果として、同グループはEIRで人材を集めて幅広い業界の調査を行い、その調査結果を活かして計4回のイベントを開催。トータルで400名弱の参加者と接点をもつことができました。
1年間の雇用契約でEIRの適正を判断/みらい創造機構
次に紹介するみらい創造機構は、東京工業大学関連ベンチャーを中心に投資を行うVCです。同機構は、短期間で経営者人材や研究人材の適正を見極める目的で、技術シーズ活用型のEIR制度を導入しました。
具体的には、実際の投資業務を通して能力を評価するために、各候補者と1年間の雇用契約を結んでいます。また、契約にあたっては4種類の雇用形態別のひな形を用意し、多様な人材を受け入れる体制を整えました。
現在では新たな人材にアプローチできる機会が増加しており、同機構はキャピタリスト(※)の採用プロセスとしての手ごたえも感じています。
(※)VC内で投資業務を行うプロ人材のこと。
地方開拓を意識したEIRの採用/三菱地所
EIR制度はVCだけではなく、事業会社による導入例もあります。不動産業での地方進出を検討していた三菱地所は、知見や人脈の不足を補う目的で、九州地方とつながりのある客員起業家を採用しました。
採用した2名とは約5ヵ月半の業務委託契約を結び、あくまで協業パートナーとしての関係を構築しています。行動に制限をかけないことで、抽象的な依頼に対しても客員起業家が自律的に考えるような環境を整えました。
このようなEIR制度を導入した結果、同社は新たな地方プレーヤーとの関係構築や、地方エコシステムにおける課題の洗い出しに成功しています。
外部人材を登用し事業立ち上げと組織活性化を実現するCACの取り組み
株式会社シーエーシー(以下、CAC)には、外部の方から持ち込まれた事業企画を、様々な形で支援することで共に事業化を目指す仕組みがあります。
一種のEIR制度であり、CACの知見・リソースが足りていない分野に外部の人材を活用することで、自社のリソースの制約に縛られないで新規事業を非連続で創出できるモデルになっています。
また、企画を持ち込んだ社外の方の意思を重視することでモチベーションの維持向上を実現するとともに、社内メンバー発案の企画と同様に扱うことで競争を促し、組織全体の活性化にもつなげています。
EIR制度は今後も注目される可能性が高い
活躍の場を求める起業家や、ノウハウや技術が不足している企業にとって、EIR制度は有効な手段になり得ます。政府の推進によって、今後もますます注目されることが予想されるため、企業・人材の双方にとって重要な制度になるかもしれません。
最新の事例なども確認しながら、イノベーション創出の新たな選択肢として検討してみましょう。
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