松本豊氏

Affdex(アフデックス)』は、米Affectiva社が開発した感情認識AIである。世界中の90ヵ国以上から集めた膨大な表情のデータをもとに、正確な表情や感情を読み取ることができる。株式会社シーエーシー(以下、CAC)はこの『Affdex』を活用するためのソフトウェア開発キット『Affdex SDK』の日本代理店であり、これを使って開発した感情分析アプリ『心sensor(こころセンサー)』などを展開している。

様々な活用法が考えられる『Affdex』は今後、我々の社会にどのように浸透し、人々の生活をどのように変えていくのか。CACの新規事業開発本部、『Affdex』のプロダクトオーナーを務める松本豊に話を聞いた。

松本豊(まつもと・ゆたか)
新規事業開発本部 Affdexプロダクトオーナー
1998年早稲田大学人間科学部卒業後、医療サービス会社に勤務。2001年からアメリカに留学し、2005年にCAC Americaに入社。 2012年に日本に帰国しCACへ、複数の新規サービスのマーケティングや運営、プロダクトグロースなどを担当。2022年4月より感情認識AI『Affdex』のセールスを担当、感情センシング技術の展開を推進している。2024年1月からはプロダクトオーナーを務める。

――CACではずっと新規事業に携わってきたと聞きました。

松本 2012年からは、一貫してCACの新規事業の部門で働いています。最初はガーデニングに特化したマイクロSNSのサービス企画があって、そのマーケティングを担当しました。その後も社内外と協力しつつ、新規事業に関わるサービスに携わっています。

――『Affdex』を担当するようになった背景をお聞かせください。

松本 2018年に『リズミル』という非接触型バイタルセンシングテクノロジー製品(映像から心拍を推定できる技術を用いたプロダクト)の立ち上げのチームに入り、最初に企画やマーケティングを任されたのですが、すぐにセールス担当になりました。当時、『リズミル』と『Affdex』は同じ部門で取り扱っていたので、どういったものなのかを耳にする機会は多くありました。

松本豊氏

『リズミル』は映像に映っている顔色の変化を分析し、そこから心拍数等を推定する技術ですが、『Affdex』も映像に映る顔の表情筋の動きを分析して感情を推定します。顔と映像というところで共通点があったので、両方を一緒に提案することが増えていきました。その後、2023年に『Affdex』のセールスも担当することになり、今年2024年1月からプロダクトオーナーになりました。

――『Affdex』を提供しているAffectiva社についても教えていただけますか。

松本 Affectiva社は2009年に設立されたアメリカの企業です。マサチューセッツ工科大学(MIT)のメディアラボで感情センサーや表情分析アプリの開発を手掛けていたラナ・エル・カリウビィさんという女性がスピンオフして設立した会社です。

今、我々の生活はテクノロジーとは切っても切り離せない状態で、その中でテクノロジーと感情を結びつけ、感情をデジタル化、数値化することによって、テクノロジーに「心」を持たせることを目指している、表情感情分析AIのトップランナーです。

――感情認識AI『Affdex』の特徴についてお聞かせください。

松本 23種類の表情と10種類の感情、2種類の特殊指標を数値化することができるエンジンで、Affectiva社は『Affdex』を使って『Affdex SDK』や『Affdex MR』(広告や動画などから感情を分析するサービス)といった目的ごとに開発した製品を展開しています。『Affdex SDK』は『Affdex』をお客さまのアプリケーションに実装するためのソフトウェア開発キットで、当社は日本と中国の販売代理店になっています。

AIを構築するには非常に大量のデータが必要になります。目的や用途に応じて必要なデータをAIに学習させてモデルを作っていくのですが、『Affdex』はラナさんがMITにいた頃からの研究で、20年以上という非常に長い時間をかけて大量の表情データを収集し、読み込ませています。データは90ヵ国以上から、なるべく人種的な偏りがないように集めています。

また、AIに学習させるために、データに対して「この画像は笑っている表情です」「怒っている表情です」といったアノテーションというラベル付けをする必要があるのですが、「FACS(Facial Action Coding System/顔面動作符号化システム)」という表情理論に基づき、FACSコーダーという専門家がアノテーション作業を行っているため、正確なデータを学習させることができ、表情や感情の解析も非常に高精度になっています。

――『Affdex SDK』および『心sensor』について詳しく解説してもらえますか。

松本 『Affdex SDK』はソフトウェア開発キットで、開発者が柔軟に表情感情分析機能をお使いいただけるような形で提供しており、お客さまのシステムに、表情や感情を分析する機能を追加することが可能です。一方で、手軽に表情を分析できるようご提供しているアプリケーションが当社の『心sensor』です。このアプリケーションも『Affdex SDK』を使って開発しています。パソコンにインストールすれば、すぐにリアルタイムの映像や過去に撮影した動画を分析できるようになります。

――「FACS」について詳しく教えてください。

松本 「FACS」はアメリカの心理学者ポール・エクマン博士が構築した理論で、表情を分類するために考案されたものです。「FACS」が確立される前は、表情の分類方法がなく、文字にするのが難しかったのですが、「FACS」の確立によって「この表情はこの表情筋がどれぐらい動いているもの」とか「この表情はこの表情筋とこの表情筋の動きが組み合わさってできているもの」と表すことができるようになりました。

松本豊氏

エクマン博士の研究で特に有名なものとして、パプアニューギニアの先住民の方々の表情や感情にアプローチされたものがあります。先住民の方々は他の文化圏との交流がないにもかかわらず、他の文化圏の方の表情を見せた時に、その表情がどういう感情を表しているのかを理解したということです。

表情や感情の組み合わせは、分類が国や文化によって異なるのではなく、誰が見てもどんな感情なのか基本的には分かるんです。これにより、人間の基本的な6感情(怒り・嫌悪・恐怖・喜び・悲しみ・驚き)は万国共通であるという認識が科学者や研究者の間で広く知られるようになりました。

――『Affdex SDK』『心sensor』は、どういった企業・団体に関心を持っていただけているのでしょうか。

松本 『心sensor』はデータを取りやすいので、大学や研究機関、企業の研究所などのお客さまが多いですね。一方で『Affdex SDK』は、お客さまがシステムを開発しており、そこに機能として組み込むという前提なので、『心sensor』でデータを取るだけでは物足りないお客さま、例えば新規事業としてシステムを開発しているお客さまや、既存のシステムやサービスを『Affdex』で機能強化したいというお客さまが多いです。

新規事業を始める一歩手前のところ、技術検証やリリース調査、PoC(概念実証)で『心sensor』を使っていただいて、想定どおりのデータが取れることを確認してから『Affdex SDK』を使って開発していこう、となることも多いですね。

――実際の活用事例を紹介してもらえますか。

松本 『心sensor』を基礎研究にお使いいただいた例としては、アサヒクオリティーアンドイノベーションズ様によるビール消費者の選択行動をよりよく理解するための暗黙的測定に関する実証研究があります。その結果はPangborn Sensory Science シンポジウム(Pangborn 2021)にて発表され、Food Quality and Preference誌に研究論文として掲載されました。また、『心sensor』のシリーズで『心sensor for Communication』というものを開発していて、これを使うとウェブ会議の際に自分の顔ではなくアバターを画面に表示させ、自分の表情や感情をそのアバターに投影させることができます。さらに、参加者の表情やジェスチャーを集計することができるため、オンラインでのコミュニケーションの振り返りにご利用いただけます。

Affdex

もう1つ、『心sensor for Training』というものもあり、こちらは企業の営業担当者や販売員がコミュニケーションのトレーニングをするために使えます。研修ルームなどに集まって研修をする代わりに、オンラインで表情の作り方をトレーニングできるアプリケーションです。表情を「真剣」や「お詫び」などビジネスシーンに適したテーマに分けてAIで採点し、それらの表情が適切にできるように練習するものです。

Affdex

――今後、活用例が増えていきそうな分野はありますか。

松本 今お話しした企業での教育や研修といった分野では『心sensor for Training』の引き合いが多くあり、これから活用例も増えていくのではないかと思います。ただ、『Affdex』は人の表情や感情、また状態を把握するための手段になります。そのため、分野を問わず様々なシーンでご活用いただけるので、お客さまからのご相談を受けるだけでなく、こちらから提案していって、お客さまの間で広がっていく形にしていきたいと考えています。

――今後の社会において、『Affdex』をどういう存在にしていきたいという考えはありますか。

松本 AIは身の回りに普通にあるものになりつつあり、今後はもっと社会インフラ化とも言えるような、あって当然、ないと困るものになっていくと思っています。感情認識は人間の行動と深く結びつくものですので、それを認識・理解することができると、より良い社会が実現できる可能性が拡がると感じています。感情には表情だけではなく、ジェスチャーや音声などいろいろな要素からも読み取れます。そういったものを多面的に分析していくことが社会インフラ化につながるはずです。

『Affdex』は社会インフラ化の一端を担うべきものだと思います。ですが、人の目に触れるところで活躍してもらいたいというよりは、社会インフラらしく、いつの間にか使っている、気づかれずに使っているような形で広まってほしいと思っています。その結果として私たちの生活、人生がより良いもの、豊かなものになっていけばいいのかなと思っています。