社内公募やビジネスコンテストが珍しくなくなったいま、会社に籍を置いたままゼロからの事業立ち上げにチャレンジできる機会は確実に増えています。中でも、Webツールを提供するSaaSビジネスはアイデアを形にしやすく、比較的少ない投資で広範囲にサービス展開できることから、数多くの成功例も知られています。
では、企業の一員として実際にSaaSビジネスを立ち上げ、軌道に乗せるプロフェッショナルは、新規事業のどこに魅力を感じ、また成功に向けて何を大切にしているのでしょうか。これまでサイバーセキュリティ用途のSaaSのリリースなどに携わり、現在は建設業界向けSaaSの事業責任者を務める、株式会社シーエーシーの明石衛(新規事業開発本部 サービスプロデューサー 建設領域新規事業統括)に聞きました。
慶応義塾大学大学院経済学研究科博士課程中退(修士号)。三菱経済研究所を経て入社したBCGで新規事業の立ち上げプロジェクトやコストカット等のプロジェクトに参画。 ビズリーチではサイバーセキュリティ×SaaS事業「yamory」をビジネス責任者として立ち上げる。その後株式会社リテイギにて建設領域のSaaSを立ち上げ、2024年よりCACに事業を譲渡するとともに籍を移す。
経済研究と戦略コンサルを経てつかんだ、“自分事”の魅力
――まず、明石さんの現在の活動についてご紹介ください。
明石 システム開発会社の株式会社シーエーシーで、建設業界向けSaaS事業のオーナーをしています。また社外では、新規事業立ち上げのコンサルタントや、事業開発を学ぶ企業研修の講師も務めています。
いま立ち上げているサービスは、新規事業開発に特化した前職の会社で作り始めたプロダクトで、興味を持っていただいたシーエーシーに2024年1月、事業ごと移籍してきました。思いきり挑戦できるありがたい環境のもとで、普及と改良を進めているところです。
現在の事業に携わるまでは、新たにサイバーセキュリティ事業を展開しだした当時のビジョナル株式会社で、脆弱性管理クラウド「yamory(ヤモリー)」のビジネス責任者を務めていました。さらにその前は、マーケティングオートメーションツール「b→dash」の開発元(現在の株式会社データX)で、実務全般の“何でも屋”を2年ほどしていました。
――事業開発のプロになったきっかけは、偶然だったそうですね。
明石 はい。実は私は29歳まで、大学院生として経済政策に関する論文などを執筆していましたが、30歳になるタイミングで研究者になる道は断念し、就職することに決めました。
年齢的な問題もあって楽な就活ではありませんでしたが、幸い、一か八かで受けたボストン コンサルティング グループの選考に通って入社後、大手企業で難航していた新規事業プロジェクトを立て直すメンバーに指名されたことが、事業開発に触れるきっかけとなりました。
このとき私は、事業を作る側として自分が何をすべきか調べるところから始め、先方の営業に同行して一緒に数字をつくり、正式なローンチまで関わりました。通常のコンサルタントの仕事とはかなり違っていましたが、それが楽しかったんです。
「お手伝いありがとう」ではなく「明石さん、やりましたね」と、クライアントから同じ仲間として扱ってもらえたのも嬉しかった。以来、自分事として責任を持ち、成果を見届けられる仕事への思いが強くなりました。
ちょうどそのころ知り合った、同年代で事業会社の課長を務める女性が「嫌なことは自分で変える」と言い切る姿にも刺激され、「もっと当事者意識を持てる事業会社で働こう」と決心したのが、今に至る転機となりました。
現実の現場を、良い方向に変えられる喜び
――その後、実際にSaaSビジネスを立ち上げてきた中で、どこにやりがいを感じましたか。
明石 それまで世の中になかったものを作り、喜ばれたときの快感は何物にも代えがたいですね。SaaSであることの必然性はなく、あくまでも手段の一つととらえています。
既存の事業を進める社内調整といった、地道でありふれた仕事ももちろん大切ですが、「どこかにある実際の現場を、今までより良い方向に変えられる」という意義、手応えは、やはり新規事業ならではの喜びです。
例えば私が携わったyamoryは、既存の海外製品がサポートしていなかった日本語対応や、最低限必要なことが分かるようセキュリティ対応の優先順位を示す利便性などが評価され、日本を代表する大企業やメガベンチャーにも採用いただきました。ユーザー会は盛り上がり、特にお願いしていないのにyamoryを広めるセミナーを開いてくださる方も現れ、「ファンが付くサービスになった」という感慨がありました。
また、いま私が立ち上げているサービスは、ざっくり言うと「工事現場向けの情報共有ツール」なのですが、競合製品もなく手探りの開発からスタートしました。しかし現在では、ホワイトボードでアナログな情報共有をしていた方々からも改善要望をいただき、「とても便利で、現場でのトラブルがなくなった」と褒められるまでになりました。
「一般的な情報共有ツールが使いづらい工事現場特有の課題を解決する」という、今回のサービスの核になるアイデアは3年前、工事現場のマネジメントをしている建設会社の方を紹介いただき、直接お話しした中から初めて浮かんだものです。既に多くのSaaSビジネスがありますが、手つかずの大きなニーズは、掘ればまだまだ眠っていると思います。
立ち上げ当初のビジネスサイドは「1人で全部やる」
――事業の立ち上げに取り組む中で、壁に直面したことはありますか。
明石 新規事業には正解がなく、いきなり最初から売れたりはしないので赤字続きの時期もあります。ですから「壁しかない」と言ってもいいくらいですが、それが当たり前。意見やアドバイスを含め、周囲からいろんなことを言われますが、個人的に「つらい」と思ったことはないです。
ある意味、ほとんど無職だった若い頃や、コンサルで上司に鍛えられていた頃の方がずっとつらかったですし、「新規事業に大変なことは付き物でも、それ以上に楽しいことのほうが多い」というのが本音です。ユーザーに喜んでもらおうと皆で頑張り、チームに一体感が出てくると、会社の上層部と意見が分かれたときでも「自分がチームを守る」という気概が生まれてきます。
――チームの役割分担や、やるべきことの優先順位はどう決めていますか。
明石 SaaSに関して言えば、ビジネスサイドの担当者のほか、開発担当のエンジニアが数名必要です。立ち上げ時はフロントエンド・バックエンド・デザイン・インフラで、合計3~4人相当のエンジニアを集めるケースが多いと思います。
ビジネスサイドに求められる技術知識についてはいろんな意見があり、実際のケースもさまざまです。私自身は一度コーディングに挑んで挫折していて、開発のことはよく分かりません。ただ「中途半端な知識なら、いっそ無いほうが良い」という意見のエンジニアもかなりいるので、「ユーザーの課題」「実現したいストーリー」「そのために必要な機能」を日本語の文書で伝えるというやり方で、今のところ上手くいっています。
リソースを開発に集中させたいこともあり、私が新規事業に着手するときは、企画・営業・財務といったビジネスサイドを、一人で全部やります。特に立ち上げの当初はスピードが命で、また一度決めたことでも後から修正が効きますから、とにかく早く意志決定できるよう、情報を1人に集約するメリットは大きいと感じています。
こうした体制でやっているので、開発面の優先順位はロジカルに決まりますが、ビジネスの優先順位は「できることから」。そうでないと実際に回らないし、片付かないですね。
――お話を聞いていると、相当なハードワークのように思えます。
明石 責任者になれば自分の裁量で動けるので、意外に体調管理はしやすいです。一人で全部やる主義の私でも、時間的に本当にシビアだったのは過去1回だけ、プロダクト発表の前日に文言の内容を詰めたときくらいです。
正しい判断をするためにも、きちんと休みながらやるほうがよいと思います。さまざまな事情から「頑張っているポーズ」が必要な場面もありますが、通常は金曜夕方に手元のボールを全部打ち返しておけば、そこから土日まで完全オフでも全く問題ないはずです。
熱意と冷静さでオーナーシップを持つ覚悟を
――明石さんは企業研修で事業開発を教えることも多いそうですが、実践的な内容を、どのように教えているのですか。
明石 SaaSに限定せず、あらゆるビジネスの立ち上げで共通して検討すべき内容をまず示し、各自でいったん考えて書いてもらいます。その後座学をしてから、最初に考えた内容を一緒になって検討しています。
毎回熱心な参加者ぞろいですが、それでも最初に出てくるアイデアは正直言って「軽い」(笑)。ただ、回を重ねるごとに変化がでてきて、最後に跳ねます。最終回にまとまるプランは本当にいつも面白く、ここで社員が出した案を「全て本気で検討する」という会社があるほどです。
――学んで考える中で、何が変わるのでしょうか。
明石 本気で考え続けると出てくる「オーナーシップを持つ覚悟」でしょう。そのために私が繰り返し問いかけるのは「きちんと考えずにやって失敗したらキャリアに傷がつくけど、それでいいのか」「自分のお金を出してでも、本当にこのプランをやりたいか」ということです。
例えばある受講者は当初、何となく作ったような軽い印象のアイデアを出していましたが、何度か目に出してきた「公務員特化の転職サービス」のプランは全く別物で、客観的な根拠と厚みが一気に増していました。どうしたのか事情を聞いたところ「転職を検討している公務員の兄弟がいるので、本人に直接ヒアリングして課題感を聞いてきた」のだそうです。自分事になれば動きが変わり、動きが変わればアウトプットも変わるのだと思います。
――まず覚悟が問われるのですね。他にも大切なことがありますか。
明石 取り組みへの熱意は当然あってほしいですが、気をつけたいのは「とにかくやらせてください」といった “ごり押し”をしていないか、つまり「熱量でごまかしていないか」ということです。客観的なデータを調べて、実際の現場でも話を聞き、もともとの考えがもし間違っていたらそれをちゃんと受け止め、次にどうしたらいいか考えて動かなければなりません。
本当は間違っているのに熱い思いでごまかし、見て見ぬふりをして突き進むというのは本当に危険で、現実に起きていることを直視する素直さ・冷静さがすごく重要です。これは事業開発に限らず、普段の仕事にも通じることだと思います。
いったん「やる」と決めたら、あとはひたすら頑張るしかないのが新規事業の立ち上げですが、私は「大変である以上に楽しい」と心底思っています。たとえ誰がやっても100%の成功は保証されませんが、上手くいけばリアルな世界をわずかでも変えられる。そこに興味を持ってくれる人が増えたらうれしいです。
――「自腹でもやりたい事業のアイデア」が浮かぶか、上手くいく根拠があるか、試しに考えてみるのもよさそうです。今回は貴重なお話をありがとうございました。
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